● 今、『ひと』誌の時代から、何を学ぶか?
7月23日(土)~24日(日)、湘南学園小学校&箱根対岳荘を会場に、下記のような観点で、教育考古学会合宿研究会を行いました。
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1973年数学者遠山啓を編集代表に創刊された教育誌『ひと』(太郎次郎社)は、市民型教育運動として一時代を築き、それまで、教育学者や教師が難しい言葉で語っていた教育を、母親や子どもたちも一緒に考え、子どもの立場に立った実践を作り上げました。水道方式、仮説実験授業、社会科の授業を作る会をはじめ、多数の革新的実践が誌面に反映され、全国各地に『ひと』誌を読み、議論・実践する『ひと塾』も多数作られました。
最盛期には3万部強の発行部数を誇り、各地の『ひと塾』の数も200を超える時期がありましたが、1999年の『ひと』誌終刊により、その運動も停滞していきました。
教育考古学会は、17年間続けてきた授業づくりの会『BASIC』を発展的に解消させ、埋もれてはならない優れた実践を掘り起こし、次の世代に受け渡すことを目的にして、この3月に発足いたしました。この夏の合宿研究会では、創刊時より母親編集委員として『ひと』誌に関わり、新たな教育運動を牽引してきた上野初枝さんと、遠山啓のカオスの会に中学時代から参加していたご子息の上野俊哉さん(批評家 和光大教授)をゲストにお迎えし、『ひと』誌から何を学び、何を未来に伝えていくかを考えます。同時に新たな市民型教育運動として『ホームエデュケーション ホームスクーリング フリースクール』を志向している母親後藤小巻さんに『ひと』誌をつなぐ未来を語っていただきます。
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会場には、大学生・大学院生・母親・子ども・教員・私塾主宰者・研究者など30名強が集まり、23日(土)午後は、過去の教育状況と現代の教育状況を比較しながら、学校と親が連帯する道を模索しました。
23日(土)夜~24日(日)は、面白実践の発表、さらに『理想の教育、理想の学びの場』をテーマにチャートを作りながら、討論しました。
● 今の状況は、40年前とは、明らかに違う・・・。
「ぼくの学校は、学年2クラスで約60名の子どもが在籍しているんですが、ぼくの学年は、そのうち10名が発達障害と言われているんですよ。これって、どういうことなんでしょう?」
「私の娘は、今年小学校に入学したのですが、すでに『学校では、そうやっちゃいけないんだよ』って言うようになって・・・。学校にも行かなくなってきているんです」
「私達の時代は、まだ学校を何とかできるっていう気持ちでPTAにも取り組んできたんですよ。順番で役員をやるとか、くじで決めるなんてこともなかった。子どもの現実をしっかり受け止め、それを学校に返すことで、まだ改善の余地があった」
「学校には、あまり期待できなくなった。生活すべてが教育。ホームスクーリングという方法もある」
「学校にどんんどん話を持っていって、教師と話し合わなければだめですよ」
お粗末さまでした。なるべく今後参加しますが、九月三週目はアウトです。さすがのトリックスターでした。みなさんによろしく!
文化人類学の山口昌男が70年代半ばから80年代ごろに使った言葉です(『道化の民俗学』など)。イタリア喜劇やシェイクスピア演劇の道化の立場は、未開社会ではシャーマンや呪術師、現代政治の宇宙(コスモス)ではトロツキーのような「ハタモノ」として、犠牲者(いけにえ)として攻撃されたり、逆に尊ばれたりと両義性をもっている。常識や共通感覚を撹乱し、コスモスをカオスにたたきこむことでコスモスやことばの秩序を「活性化」するという議論でした。いろいろに立場を変えて、誤解されることを畏れず、混乱を新たな秩序の誕生にみちびく存在の意味です。レヴィ=ストロースの構造論が、アンドレ・ヴェイユらブルバキゆずりだったことを思うと、レヴィ=ストロースの構造人類学に動態論をもちこんだ山口(トリックスター論)は、ブルバキの影響が深い遠山さんの系譜のなかで、木幡さんがやんちゃをつらぬいているありようにぴったりだと思ったわけです。
この先に、フレネを評価するガタリによるカオスモーズ、カオスモスが連なり、ぼくもオヤジやんちゃに参戦なのかと。
木幡先生 本日はお誘いいただきありがとうございました。
古今の教育現場で抱えてた/る問題は根本的には変わっていないと思います。 システム自体にエラーがあるから人のやられちゃった部分が社会問題として出てくるのだと思います。しかも
時代が変わろうと人間自体はそんなに早くは変幻しないと思うので 今と昔で違って見える問題は 違った刺激を与えてるから 違った結果が出てるだけなんだと思います。 教育に対する理想も夢もありますが
子育て真っ只中だと現実をどれだけ理想に近づけるか しかできません。 木幡先生のように実践されているのは頭が上がりません。後藤さんのおっしゃることもよくわかります。一時期同じようの考えました。教育という公のものをできるだけ個に沿った形にするには
読み書き算盤程度でいいと思います。その他の勉強に応用が利くので それだけできればあとは個性でそれぞれが他分野をカバーしていくと思います。 ポストイットには思いつかずかけませんでしたが
理想の教育現場は大幅な教育内容の縮小かもしれません。 どうしても、現代は縮小に限ると考えています。 またぜひ勉強会に参加させてください。 ありがとうございました。
元ひと誌母親編集委員の上野初枝さんからも、丁寧なお電話を頂戴しました。
いつまでもお元気にお過ごしください。