10月31日(月)ハロウィン。
(体調が悪いので休みます)
(風邪を引いたので休みます)
こういう連絡が続出・・・。こりゃあ、何にもできないなあ・・・。
という事で、先日行われた教研集会で感じたことを・・・。
● 教材論なき実践から何が生まれるのだろうか・
最近、教研集会に行くと空虚な気分になる事が多い。
例えば、わり算の導入を等分除ではなく包含除で行う実践が出て来る。
※ 等分除
12個のキャラメルを3人で同じように分けると、一人あたり何個になりますか?
全体量がわかっていて一つ当たり量を求める。
※ 包含除
12個のキャラメルを一人当たり3個ずつ分けると、何人に分けられますか?
全体量がわかっていて、いくつ分を求める。
わり算の導入では、「同じように分ける」というイメージを獲得するために等分除で導入するのが定説。それを何故、わざわざこね繰り返して七面倒くさく難しくするのか・
「支部教研でこの導入は、おかしい。再検討した方がいいと助言したはずですが」
「私と違う教員が支部教研に出ていたので・・・」
「では、伝わっていないという事なのですね?」
「・・・・・・」
こういうものは、研究レポートとは言わない。
そして、この授業に立ち会った教育委員会の指導主事は、こう言っている。
「包含除、等分除はどちらを先に行えばいいかというと、それは2年の学習から続いている子どもたちの状況やクラスの様子によるのでどちらとも言えません」
※ 無原則という見識のなさが露呈されている。
「しかし、一般的にかけ算の既習事項からわり算の意味を見つけ出すことを重視するならば先に包含除を扱います」
※ かけ算の既習事項からわり算の意味を見つけるのではない。同じように分けるという行為の中から、わり算の意味を見つけるのである。教師中心の教え主義が見え見えの文言。
このあと、支離滅裂な文言が続くので省略するが、こういうレポートがここ10年増え続けている。
教科書の赤本(指導書)そのままに、中身を分析せず形だけ整える。
これは、40年前に作ったわり算導入のテクスト。
これを超えるテクストは、なかなか出てこない・・・。
また、こういうレポートも・・・。
① より多くの子どもたちが思いや考えを引き出す発問の工夫
② より多くの子どもたちが目標に迫ることができる伝え合う言語活動の工夫
↓
伝え合う力が育成される
↓
『人との豊かな関わりを目指して』というテーマに結びつく
※ マジにこんなことを考えているのか?伝えたいと思う気持ちは、教材が起こす。つまらない教材で、伝えたいと思う?教材論が全く抜け落ちている。
結果、こういう風になる。
発表の仕方を形式化し、この通りに発言させる愚かさに、なぜ気づかないのだろうか・・・。学校は、こんなふうになり下がってしまったのか・・・。
ワールドカフェ・ペア学習・ユニバーサルデザイン・学びあい。
流行物の形だけ整えて教科書の赤本通り、指導主事の言うとおりに綴ってきたレポートの虚しさよ・・・。泣ける・・・。