2016年12月アーカイブ

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まず、YBS(山梨放送)制作のドキュメント『 学校が消えた』を鑑賞する。これを観ると、町長選で巨摩中の自由教育を良しとしない町長が返り咲き、その中で巨摩中教育がつぶされていく過程がよくわかる。涙なしでは、観られない。
※ この過程については、下記を参照。
『地方公立校でも「楽園」だった―再生のためのモデルケース』
川村美紀(中公新書ラクレ 2005)
※ 以下、山梨県の斉藤節子さんのメモをベースに埴原さんの話を箇条書きに綴っていく。
斉藤さん、ありがとうございました。
● 自ら考えることを大切にする教育
「一週で一コマの授業、年間通しても寝ないで
・研究授業をやっても、『普通でよかったね』が最高の賛美だった。誰もほめてくれない。それほど厳しい研究授業だった。
・美術のモデルを描く時もまずは首がどうな
・1単元に対して、毎回、レポートを出させていた。子供はすごく勉強した。
・テストはない。入試で70点以上、全員が普通校入れるレベルになるよう授業した。
・毎時間、各教科、授業の記録をとらせた。先生が来てどう喋ったかの授業記録。
※ 数学の授業ノートを見せていただいたが、レベルが高い。数学教育協議会の考え方を取り入れている。各係で、全員が授業ノートを書くから、毎時間リフレクションしていることになる。レベルの高い授業に、レベルの高い振り返り・・・。40年以上前にそれがきちんとできていた。
レベルが高い。内容があるから書ける。教材が中心ということが読み取れる。(木幡)
● 音符を読めなくてもハーモニーができる子どもへの指導
「ロシア民謡を歌っていたから赤と言われた」
・中学で楽譜を教えるが出来ないと言われていたが、そんなことはない。ますを書いてそこを塗りつぶして音符の長さを視覚化させる。半具象(シェーマ)-具象と抽象の中間の考え方・
・ドレミファソラシドを黒板に大書きして指して音を出させていく。
和音を右手左手で指示して音を出し、クラスの半分づつでやらせて和音を教える。1年から音が取れるようになる」
「久保島先生が言うのよね。『好きな歌を歌わせろ』って・・・」
・まずは歌を好きになってもらう。
それから、流行歌と教材とどっちがいいか勝負。
生徒が合唱をやりたくなる。
● 教材と授業研究、そして、教員集団
「優秀な先生が揃った。いられない人は移動していき、来たい人が来る学校だったのよ」
・朝の7時から夜10時まで仕事した。
雑務で残っているのではない。教科書以外の教材をどう開発し、どう使うか?
「毎日が遅いので、自分の家庭の子どもの教育が出来ないと言ったら、『親には自分の子の教育は出来ない
・その頃の教員は核家庭ではない。
自分の給与は教材の為に使える先生でないとダメ。
生活のためには使えない。
・日本一の先生を呼んだ。
呼ぶためにも自分が高まらないといけない。
夏休み中にいろんなことを勉強した。
出張経費は、学校が出してくれた
・1番素晴らしい先生を呼んだ。林ひかるさん。とことん言われて編曲もどんどん直した。
・教科書オンリーだったらダメ
巨摩中に来ている方も教科書の編集委員をしていたが、良い曲を出しても切られる事がある。
だから、いろいろな教科書を比較しなければならない。
一冊の教科書だけでは教育はできない

・管理職も一緒になってやった
自分の学級の子どもに何が合うのか限られた時間でどうしたら子どもが伸びるか?
・今は事務作業が増えすぎている。授業数は減っている
●日本での共通教材の問題
「外国人教師から日本の先生は教養が無いと言われた」
・社会科の免許も持っていたから、社会科的な勉強も音楽の中で教えた。
・地理歴史を知ることが必要。
・音楽にも地理的背景を合わせて教える。
・シューマン どう言う時に楽曲をどこで作ったか
アプローチはいっぱいある
・中学の先生だったら教科が違うは、関係ない。授業作りの観点、授業を観る観点は同じ。
・空き時間に他教科を見る
・巨摩中は、ドイツのシュタイナー基本
・1年から9年までもちあげ、9年育てるプライド・意地があった。


● クラス生活
「四月に入学して仮にクラス編成をし、六月に再編成するのよ。こどもたちの様子を見て・・・」
・6月に再編し、担任持ち上がりで、3年間責任を持つ。親も兄弟関係も知っている。
・100人中東大2名排出
● 特殊学級も公開講座
「まりつきのテンポと同じよ」
・脈拍と同じ。脈よリ早ければ早い 遅ければ遅いと思う感覚を教える。
・暑い寒いも自分の体温を基準に
・公開研参加者、田舎で泊まる所もないから、民泊していただいた。民泊で交流を持つ。
・公開研、久保島さんに色々怒られたがとにかくすごかった。ずっと交流が続いた家庭もある。
・今は10年同じ学校にいられない3年から4年で異動なので、巨摩中の実践はできない。
・今の校長は勉強していない。
● 学校生活
「巨摩中は野球が強かったので、縦関係のしごきがあった」
・暴力がある。縦関係を徹底的に切った。
・女の子のグループは男子が入りにくい。入りにくい雰囲気を持つ。島宇宙を持つべきでない。
徹底指導した。
・遅刻の理由
a. b c それぞれ言い訳をする。
4時まで勉強したと言うのがあったが理由にならない。 徹底的に討論した
・進学して学校の愚痴
農林の生徒が好きで行ったのに愚痴るなと言った。
単車で飛び歩く生徒。
警察の厄介に成る生徒。
どんなことでも指導できる。カウンセラーアドバイスできる。
・自由に物が言える校風
卒業後娘の嫁ぎ先の父親は警察官でも、自分が警察に厄介になっていても、対等に自由に物が言える人間形成。
※ ここまでお話を伺って感じたこと(木幡)
戦後民間教育運動の中での学校の系譜、例えば、
斎藤喜博の島小(群馬)→久保島信保の巨摩中(山梨)→奈良清利の蔵館小(青森)→遠藤豊の明星学園(東京)&自由の森学園(埼玉)→芳賀直義の東六郷小(宮城)に共通しているのは、次の二点である。
① 徹底的な教材の吟味による授業研究
② 豊かな表現活動
合唱は先輩の影響を受け、いい意味での異年齢異質な集団を形成させやすくする。
● 質問―ちゃんと歌わせるためにどうすれば良いか?
・指揮者は、親分肌で皆に目で合図できる人。
歌を歌わないから指揮者をさせるは、ナンセンス。
いなければ先生が指揮をする。
チャンと子どもを見ている人がする。
● 質問―修学旅行の取り組みも独特
・徹底した調べる学習
1つのことを追及2人組で修学旅行
コマ中は1年から登山
何も持たない
スコップと新聞紙
トイレも作る
木の葉っぱでトイレットペーパー
火を起こして炊飯
・1人1人に合わせて荷物を持たせる
5キロ 20キロ 自由に歩かせる訓練。
甲府駅出発 どこに集合が旅行だった。
・信頼している
時刻表も自分で調べる・自信がつく・旅行記も書く。
全部自分の身に付いた。
芦安中に行った時旅行記がたった一言「良かった」
だけれどそれでオッケーだった。
・個を大事にする
変なグループは作らせない。
巻き込ませない。
バラバラで個を確立させる。
誰々がいくから行くと言うようなことはさせない
● 授業づくりのABC
「教科書を使えば楽 なのね。子どもができないことは教科書の責任にできるでしょ。授業は自分との厳しい関係なのよ」
・実践を自分たちで作って行く。
教材を自主編成する 。
日本中の実践から学ぶ取り組み。
自分に財産を増やす。
夏休みに学ぶ。
・教科書を使わない が第一前提。教科書通りなら授業ではない。
自分なりの物がでてくる。人の真似は上手くいかない
子どもが違うから、自分なりのものを作ることを学ぶ。
・授業で分数を教えるだけでない。
どう言う子どもになって欲しいかという願いを持っていることが重要。
だからまずは自分がどうあるべきか。
そういう、心の動きがあった。
・いろんな人との出会いいろんな実践家との出会い
自分の実践を広げられた
※ 最近の教研の発表を見てみると、教材論なき方法論ばかりだ。
教材の中身を検討せず、例えばアクティブラーニングという型にこだわる。
不安なのだと思う。燃えるものがあって学ぶのではなく、不安だからあちこち顔を出す。
研究会がセミナーになって一方的に聞くだけの関係。
不安から入る学びに未来はあるのか?(木幡)
「全く教科書無視ではないのよ」
あなただったらどうあるべきか
あらゆる教科書のどこの教材を使うか?
子どもに合う合わないかを考える。
教科書を比較検討して自分の子どもに対して考える。
できないのはなぜか?対話が途断えていないか?
なぜ良かったか?
なぜ失敗したか?
身近から入ってくださいね。
子どもはどんどん育っているんですから・・・。
あっという間の3時間半。
最後に『あ・り・が・と・うの歌』(佐久間順平)と『ケサラ』を全員で歌った。
84歳という埴原さん、明星学園・自由の森学園でもいろいろお世話になったけれど、あの若さとパワーの源は、いったい何だろう?こう考えて、ふと思い出したことがある。
今から43年前、大学をドロップアウトし関西を放浪して東京に戻った時、『ひと』誌の発行元太郎次郎社でアルバイトの第1号として仕事をしていた。
その時、元帥と呼ばれていた遠山啓(数教協委員長)・水道方式の神様岡田進・「井の中から大会を撃つ」と豪語していた徳島の新居信正(数教協・仮説)・特攻隊の生き残り国語教育の雄遠藤豊吉・元祖仮説実験授業の板倉聖宜(国研)・人間の歴史の白井春男他多数の大先輩に出会ったが、その時の感覚に非常によく似ている。
若さは、年齢で語るものではない。いかに今を充実して生きているかで、若さは語られるのだ。
埴原さんのパワフルを生き方からたくさんの財産をいただいた。ぼくもそうありたいと思います。
埴原さんありがとうございます。いつまでもお元気でお過ごしください。
巨摩中の実践、後輩にしっかり伝えていきます。
感謝を込めて・・・。
【閑話休題】
帰りの車の中で大学の後輩高野裕君といろいろ語った。
「今日の会が今までで一番よかったなあ。やっぱり、いつまでも実践家でいる人の話はすごいよ」
「それにしても、すごいパワーだよね」
「うん、埴原さん、すごい!」
「いや、木幡さんがですよ」
「えっ?」
自分の事は、全く考えていなかった。
楽しいことを考え実践している時、パワーだとか年齢なんて考えちゃいないんだよね。
埴原さんも、きっとそうに違いない。