2017年11月アーカイブ
今、手元に雑誌『望星』(東海教育研究所)1975年新年号がある。現在も発刊されているが、当時、教育誌として最も先進的な記事が満載されていた。
この号は、特集/教育実践記録を読み直す。
その中に、アンケート『私が出合った実践記録三冊-現場教師四十三人の証言』というページがあり、五十二人中返答があった四十三通の全文が載せられている。一人当たり三冊の四十三冊だから、ダブリも入れて計129冊。
その中に、阿部進のベストセラー『現代子ども気質』1961年(新評論)が一つも登場していない。
一世風靡した〈現代っ子〉の生みの親、阿部進が登場してこないのはどういうことだろう?
※ ちなみに最も多かったのは、『学級通信ガリバー』(社会評論社 旧版『飛び出せチビッコ』を含む)村田栄一13、続いて『山びこ学校』(百合出版)無着成恭 4、『学級革命』(牧書店)小西健二郎 3、『山芋』(百合出版)寒川道夫編 3、『村を育てる学力』(明治図書)東井義雄 2、『不可視のコミューン』(社会評論社)野本三吉 2と続く。
同じ号、『討論=教育実践記録 再評価の視点』(海老原治善・遠藤豊吉・村田栄一)で遠藤豊吉(当時、武蔵野市立井之頭小)村田栄一(当時川崎市立向丘小)は、次のように述べている。
遠藤 阿部進の提起したものは、生活指導と教科の力をつけること、しかもその粘着剤として生活つづり方を使うという、その三つのやり方ではたして教育は完結するのかどうかということだったと思う。
村田 六十年代初期に生活単元学習批判という形で系統性ということが強調されてきたけれども、それをもう一度受けとめていく側の生活全体をみなければいけないということになってきた。それが例えば解放教育とか「障害児」の教育権をどうするかという具体的な形で出てくる。これは一人の教師が何をしたかということではなくて、その教師が地域なり父母なりあるいは子供なりとどう結びついているか、ということを抜きにしては論じられない問題になってきているということですね。
阿部進は、『子どもの生態から学ぶ』ということを繰り返し述べている。これは、とりもなおさず、教師の価値観を子どもに注入する・子どもを教師の側に引きずり込むという観点ではなく、子どもを生のまま直視し、それを教師というフィルターの中でろ過せず、フィードバックしていくという行為に他ならない。遠藤・村田の見方に通底しているのはこの点だろう。
阿部進は、こう言う。
阿部 「こどもの都合」ということが自分自身に欠落していると思うんだ。障害児学級をやっているうちに、こどもの都合に立たなければこっちは何もできないんだということを教えられたというわけ。
-『いま語る戦後教育』村田栄一編(社会評論社)-
1975年当時の教師・戦後民間教育の潮流は、やはり〈教師主導=大人の都合〉の学力観であることから、阿部進の観点は理解されない。だからアンケート調査に『現代子ども気質』は出てこないのだろう。そういった意味で、阿部進は時代を先行していたのだ。
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