
2018年10月アーカイブ





※ きせきをよぶおじいさんになる 小学生 中野朝陽(福岡県 10)
ぼくのおすすめは、「かさこじぞう」です。よいことをしたおじいさんに、すてきなきせきがおこるからです。
昔話は、なぜおじいさん、おばあさんばかりにきせきがおこるのか、考えてみました。
おじいさん、おばあさんは、自分のくろうやけいけんがあるから、何かを見つけると、「きけん」「安全」がわかります。
だから、どんなこともおそれず、チャレンジできます。
けれど、子どもはよく分からず、何でも「きけん」とにんしきしてしまい、チャレンジできません。だから、きせきまでたどりつけるのはおじいさん、おばあさんだと思います。
ぼくは失敗をおそれる方なので、けいけんをつんで、きせきをよぶおじいさんになりたいです。
朝日新聞 2018.10.13 若い世代 こう思う
中野君、ちょっと文脈がつながらないところもあるけれど、フレネの子ども達も「失うものが無い人は強い」→「いろんなことにチャレンジする」→「経験豊富」→「奇跡のチャンスが増える」とたどって行き、奇しくも中野君と同じような認識に近づいて行った・・・。
衝撃だったのは、「へぇ~!貧乏って、強いんだ!」という広和(小3)の発言。
いやあ、驚きのブッククラブでした・・・。
何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢゃないか。
顎があんまり長過ぎるぢゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかりみてゐるぢゃないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢゃないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢゃないか。
これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。
● 雀の学校
京子ちゃんが朝のミーティングで発表。
「マンガこぼちゃんに出ていた『雀の学校』っていう歌を調べたら、ものすごい虐待の歌でびっくり!」
ちいちいぱっぱ ちいぱっぱ
雀の学校の先生は むちを振り振り ちいぱっぱ
生徒の雀は 輪になって お口をそろえて ちいぱっぱ
まだまだいけない ちいぱっぱ
も一度一緒に ちいぱっぱ ちいちいぱっぱ ちいぱっぱ
今の子ども達、この歌を全く知らない。
鞭をもって教える=教鞭(きょうべん)
死語だ・・・。
教壇も死語なら、教師も死語?
「教師が死語なら、先生のことを何て言うの?」
「せんこー!(先公)」
これも死語・・・。
雀の学校については、賛否両論ある。
ぼくは、賛成できないのだが、京都教育大学広報124号に『雀の学校をめぐって―教育の文化的遺産の継承をめぐって』という論文が載っている(16/30あたり)。
http://www.kyokyo-u.ac.jp/outline/pdf/kouhou124.pdf
帝国主義的歌ととらえるか?戦前の教育を画一的にとらえないという歌か(現文科省大臣)?
それにしても、ぼくが小3の時の担任は、ひどかった。鞭どころではない。
「青銅とは何か?」
ノートにその意味を書かせ、間違えていたら、1mの物差しでバンバンなぐる。
正解は、青銅=青い銅だって・・・。ざけんなよ!!!
「そのマネ、してみようか?」(爆笑)
いや、当時は笑い事じゃなかったんだから・・・。
● 長崎プロジェクト
『焼き場の少年』の写真から、来春、長崎に行こうかということで、プロジェクトチームを作ることになりました。当然、原爆も考えます。
まず、長崎と言えば?シンキングマップを作ります。
三チーム作り、それぞれテーマを第3候補まで決めます。
「隠れキリシタンについて調べるよ」
乞う!ご期待!