2019年6月アーカイブ
こんばんは。 ブログを拝見して懐かしくなりました。今周りにその様なゲームをしている子がいないので特に懐かしいのかもしれません。
フレネにいた頃、将棋や花札、トランプはいいのにカードゲームはどうしてダメなの?と言われた場面をはっきりと思い出します。
自分自身カードゲームをよく知らないから、どうして?にあまり答えられなかったような。そしてその様なカードゲームの詳しい内容はよく知らないまま今に至ってます。
その上で、 カード自体が個人の所有なのでそれを持っていないとゲームに参加できなく、皆が集まる場所なのに参加者が制限されてしまうということはあまり良いことではないと思っていました。
たとえカードを持っていない子に貸してあげるといっても、持ち主が貸し出すカードを選んだりするので、その時点で立場がはっきりしてしまいトラブルになっていたこともあったような。 トランプなどのように同じ立場で参加できる方法が見つけられればまた違うのでしょうが、トレーディングカードの場合、ゲームをしたいという気持ちよりも自分の所有するカードを使いたいという気持ちの方が大きい印象があり、これらの気持ちに折り合いを付けるのは難しいのかなと思います。(後略)
同時に、新宿時代のフレネの会員、ゲームの王者・まっつぁんからのコメントももらいました。
彼は、フレネが終わると新宿スペースのすぐ近くにあったトレーディングカードショップ『イエローサブマリン』に駆け込み、マジックザギャザリング三昧、知らない人と対戦。また、新宿のゲーセン通いでスカウトされ、現在はゲームの作成者になっています。
【まっつあんのコメント】
トレーディングカードその物が悪いわけではない。
強いカードやレアカードが無くてもどうすれば勝てるか、あれこれ考えることが重要。そういう面白さがある。ただ、今の子は、強いカード・レアカードを求め、それを中心にカードを組む傾向がある。
そのためには、カードを何とか集めなければならない。
これは、子どもに言うとかなり酷な事でもあるから、木幡さんの判断に任せますが、やはり、お金の差なんですよね。お金を持っている子は、カードを買いあさり強いカードを所有する。あるいは高額のレアカードを買い求める。それに走るとトレーディングカードゲームは、お金を持っているかどうかが重要になる。そうなると、あまり良くありません。
今回、ぼくはほとんど発言しなかった。
りんちゃんの強烈なカウンターパンチ一発で、話は収束し、トレーディングカードゲーム推進派も考え方を変えた。ある程度の納得を得たと思う。
2時間の話し合い、多数決で決めるのではなく、他者の考えに乗り換える。
そういう話し合いに、ぼくは感動した。
トレーディングカードを解禁するかしないかを議論したが、フルボッコされ、出る杭は打たれる。
【そら】
デュエルマスターズとか、つかえるようにするためがんばったけれど、けっきょくきんしになりました。トレーディングカードをつかえるようにしたかった。
今考えると、カードゲームする時以外はカードを出さないという掟を守れなかった子、弱いカードしか持っていなく、それをあれこれ工夫するためにカードを出していたんだなあ・・・。
トレーディングカードゲームは、残酷なゲームです・・・。
小学校から帰宅すると、ラジオが臨時ニュースをがなり立てていた。
「臨時ニュースを申し上げます!臨時ニュースを申し上げます!」
社会党委員長浅沼稲次郎が右翼少年に刺殺されたというニュースが自分にどういう影響をもたらすのかもわからぬまま、ラジオを聴いていた1960年。
それからしばらくして教室に手動鉛筆削り器が2台やってきた。
「まず、先生が見本を見せる。みんな鉛筆を持って並びなさい」
学校に刃物を持ってくることが禁止され、かくして、教室から肥後守やボンナイフが消えて行った。
この時代の子ども達(いわゆる団塊の世代)にとって、肥後守やボンナイフは武士の魂の刀のような存在だった。つまらない授業では上蓋(一枚板)式の木製机に穴を開け、消しゴムを刻み、指ではじいて穴に落とす。時には肥後守の刃をペリカンの嘴に見立ててのペリカンごっこ・・・。校舎全体が木製だったので、木を切り刻んで遊ぶのに事欠かない。
肥後守は、創意工夫の源であった。
それを大人の一方的な価値観で善悪を決め、ナイフを学校から追放した結果、どういうことが起きてくるか・・・。形が不自然であっても肥後守を使い、自分に合った木製品を作る。昭和30年代はプラモデル以前に、まだまだ木製品が生きていた時代だった。木製飛行機、木製船舶、木製自動車などキット自体を切る、磨く、つなげるなどの手間暇がかかった。自分の世界を創造する道具としての肥後守・・・。今の子どもはナイフを使えないと大人は嘆くが、そういう状況を作ったのは、いわゆる良識ある大人と言われる人たちであり、その大人でさえ鉛筆を削れなくなってきているのだ。
肥後守を使い創造する世界から、プラモデルによるより精密な模造品の世界への変遷を、私たちは悲観的にとらえなければならない。やればやるほど子どもをダメにしていく世界の拡大再生産・・・。
上記の見解をベースに、『刃物を持たない運動』や『悪書追放運動』の功罪については、すでに授業している。問題は、いかにして肥後守を復権させるかということ・・・。
これは、やってみるしかない。肥後守やカッターナイフを操れる身体を作るしかない。
というわけで、鉛筆を削る授業!
● 安い鉛筆
二種類の鉛筆を用意する。
一つは1本150円の三菱ハイユニ、もう一つは50本980円のmade in China・・・。
「中国製の鉛筆を使うよ。どうしてだか、わかる?」
「鉛筆使い終わったら、ケースをコップとして使えるんだ!」(爆笑)
「値段が安いから?」
「質がいいのは、どっち?」
「三菱!」
わざわざ、質が悪いものを使う理由を考えてもらう。1950年から60年にかけて、まだまだ貧しかった日本。いい鉛筆はなかったんだよ。
わざわざ、当時と同じような材質の鉛筆を選びました。
三菱・トンボ・コーリン・地球・ヨット・・・、いろんな鉛筆会社があったなあ・・・。
● 構えの姿勢―鉛筆とナイフを持ってみる
まず、鉛筆とナイフを持ち、鉛筆削りの構えを見る。右手にナイフを持ち、右手指だけで鉛筆を削ろうとしている子が結構いる。


「みんなの意見で、共通しているところはどこかな?」